旅立ちのあと
8月23日 午後、一人息子を残し兄嫁は38歳という若さで旅立った。
午後兄貴から電話・・・急いで甥っ子を迎えに行き、病院へ、でも間に合わなかった。仮にあと数分早く着いていたとしても、すでに意識は無く、眠るように旅立ったそうだ。
私は、今まで自分のブログの中で彼女の病気の事は書かなかったというか、書けなかった。
ちょうど同じ頃病気がわかったのだが、彼女の病気はあまり症例も無く手術は不可能、最後の選択として兵庫の粒子線センターで、最先端医療を受け、それに望みを託す事になる。
気丈に前向きに病気と闘ってきましたが、病気に勝つ事が出来ませんでした。そして痛みとの闘いは、私には、想像もつきませんが本当に最期までよく頑張ったそうです。
少し前、数ヶ月前から、兄の子との付き合いが急に増えることになる。
もう直ぐ母親を亡くすだろう、まだ小学校の2年生と、私はどう接すればいいのか?
今まで、たまに会うことはあっても、こんなに生活の中に、踏み込む事などなかった。
かわいそうだと思うから、ついつい、今日学校で何があったの?忘れ物は無かった?と自分の子供にも、聞いたことが無いような事を聞いた。
望む事、そして望むであろうと思う事は、なるべく聞いてあげようとして来たし、それが自分自身の満足であったんだと思う。今までは、病気ではあるが、ママは居た。でも、ママが、死んでしまって
あの小さな胸の中で、いったい何を考えてるんだろうか?
パパの前では絶対に弱音なんか吐かない。淋しいなんて事も言わない。
無理しないで泣いてもいいのに・・・
我慢してるすべてのストレスを私にぶつけて来る。
葬儀やさんに言われた。
私の存在は・・・ママが居た時はママの具合が悪いから、手伝い時々に来るパパの妹、おばちゃんだった。何でも言う事を聞いてくれるし・・・でもママの具合がもっと悪くなり、頻繁に、僕のお迎えや、生活に踏み込んでくる。いちいち、学校で、あった事や、明日の持ち物の事、とにかくうるさく言ってくる、うっとしいだけのおばちゃんになったんだという事。
もう命の限界が近いと聞いたときから
兄貴の事、甥っ子の事、母屋で一人で暮らす母の事、すべてを一手に背負い込む事になるそう考えてたし、それを使命と受け止めてた、葬式の後、他人からは、私の今までの生活パターンを変えてまでも、こうするべきだと言われた。
それは私のストレスを一気に満杯状態にした。私も、あの子も精一杯に、今の状態を何とか受け止めていこうと、あの子は子供なりに、そして私は兄の妹として、そしてあの子おばとして・・
たまたま葬儀屋さんのと話ができて少し考え方が変わった
、一歩、そう、少し下がってあの子を見て行こう。無視するのでなく、大人には理解できない子供の気持をそっと見守って行こうと思う。自分の子供ではない事、そして他人ではない。どこまでどう付き合っていけばいいのかまだはっきりしないけど・・・
なるようになるはず・・・


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